人とはなにか

そういえば二年生の頃でしたかね。
初めてボスと「お話」をしました。

あのときはまだボスは「先生」でした。
あまりにもかけ離れた存在。

そんな人と、人間とはなにか
その存在意義はなんなのか

というお話をしました。

稚拙ながら私も、一つの考えに至りました。

今、私は思考する機械を作ろうとしています。
それはまだ子供だましのようなものですが。

2045年。

正確かはわかりませんが、現実的な未来。

機械の思考は人間を超えるそうです。
そうしたらどうでしょう。
機械の思考によって世界がまわります。

そのとき、人は、どうなるのでしょう。

きっと人は減ります。

正確には、機械のような人が増えるのでしょう。

電脳によって人はつながります。

Jill Bolte Taylorが語った世界。
右脳によって支配された世界。
全としての人類、人。

そういう人が増えるのだと思います。

しかしそれは個としての人ではない。

個人とはなにか。
それは全を越えた圧倒的な個を持つ人間。

機械の思考によって、世界はまわり。
全を越えた個が、世界を突き動かす。

それはきっと美術だとか、芸術だとか。
人間の生命としての究極の衝動が。
機械が生み出せないものを、巨大な「個人」が生み出して。
そうやって人は存在し続けるのでしょう。

そして個を越えたなにかが現れた時。
本当の意味で人は舞台から降りるのでしょう。

戯言を吐きおえたところで、私は眠ります。

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